TAKUROとHISASHIのギタープレイ

今回のテーマはGLAYのギタリストTAKUROとHISASHIのギタープレイです。
このテーマを書こうと思った理由としまして、しばしばこんな言葉を聞くからだ。
「GLAYのギターはうまくない」だとか「GLAYのギターは簡単」という言葉だ。
こういう発言をする人はたいてい、自分でもギターを弾いていて、洋楽の早弾きをするギタリストと比べてそう言っているのだと思う。確かに外国の(もちろん日本にもいる)ギタリストでTAKUROやHISASHIより2倍ほど早く弾く事ができる人はいる。
だけど、「早く弾ける=すごいギタリスト」ではない。
ボーカリストに例えてみると、どんなに高い声が出る人がいても、歌えない(音痴)ならダメだ。ドラムであれば、どんなに早く強く叩けても、リズム感が無ければ終わりだ。
ギタリストも早く弾けるだけではダメなのだ。バンドアンサンブルを考えてプレイができ、ギターソロで曲を引き立てるソロを弾き、そして、オリジナル性を持っており、その人自体がカリスマ性を持っていれば、そういう人がすごいギタリストであると思う。

早弾きとはギターソロにおいて、一つの手段でしかないのだ。HISASHIもTAKUROも早く弾く事にはあまり興味は無いようで、違う方向で「自分だけの物」を持っているすごいギタリストだと思う。

HISASHIにおいてのそれは「サウンド」であると思う。「MERMAID」のギターソロ前の「キュイーン」と何度も鳴っている音は「ワーミー」というエフェクター(音を変える機械)を使っていて、アルバム「ONE LOVE」等でよくそのサウンドを聞く事ができる。他にも挙げればキリが無いが、他にもいろんな所でHISASHI独特のサウンドを聞ける。1番インパクトがあったのは「ビリビリクラッシュメン」のギターソロ最後で使われている光線銃の音だろう。ギターソロで、ギターを弾かずに、光線銃の音を鳴らして見せたのだ。それ以前にも、ライヴ中に光線銃を使っている事はあったが、曲のソロとしてCDでリリースまでしてしまった。
それは、まるで「GLAYのギターは早くない」という奴等に対して、早く弾いて応えるのでは無く、更に裏切り(だって、ギター弾かずに光線銃だもん。もうギターは弾いてすらいない 笑)、自分流を貫いた時だったのではないかと思う。
その辺りからHISASHIはサウンドに凝っているようで、自分流を貫くHISASHIのギタープレイにはどこか吹っ切れた感じがあり、楽しそうで一層カッコ良い。カリスマ性を感じる。ギターヒーローHISASHIになったと感じるのは、その位の時かなと僕は思う。

続いてTAKURO。
TAKUROのギターのうまさは、曲作りと同じで、フレーズのメロディーがキレイだったりカッコ良かったりする所だと思う。CDで聴くギターソロもカッコ良いし、ライヴでは更にアドリブでいろいろなソロを奏でる。それが、どれもカッコ良いのだ。ライヴビデオでのTAKUROのプレイをコピーして僕はいつも感動している。
「生きてく強さ」、「HAPPY SWING」なんかが最高ですね。
あと、TAKUROはGLAYのメンバーとして曲作りに1番力を入れていると思うし、メインのギタリストはHISASHIだと考えていると思う。
TAKUROはギターヒーローになる事よりも、人を感動させるメロディーや詩を書く事を一番に考えているのだと思う。

というワケで、GLAYのギタリスト2人は、2人とも「自分だけの物を持つ」すごいギタリスト(アーティスト)だと思うのです。

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このページは、2007年10月 4日 03:38に書いたブログ記事です。

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