ミュージシャンはなぜ武道館でライヴを行うことを目標とするのか?

GLAYをはじめいろいろなミュージシャンが「武道館に立つことが目標」とするがそれはなぜか?

まず武道館が作られたのは1964年9月(40年近く前)で、作られた目的は東京オリンピック(1964年10月)の柔道の競技会場として使う為です。

それが、1966年にビートルズが初来日しコンサートを行った際に使用した会場が武道館なのです。同時にそれが武道館で行われた初めてのコンサートでした。
当時は「武道の伝統を損なう」という事で(武道館をコンサートで使用する事に)反対の声もありましたが、結局は無事にコンサートは行われました。

という事で、GLAYをはじめいろいろなミュージシャンは武道館でライヴを行うことを目標とするようになったようです。

話をGLAYに戻しますが、そんなGLAYが初めて武道館でライヴを行ったのは、1996年9月9日「BEAT out! reprise」ツアーの時です。ライヴビデオ「無限のdejavu」と「無限のdejavu 海賊盤」で見ることができます。

初の武道館はメンバーも思い入れがあったようで、TAKUROさんは後に「初武道館の9月9日と幕張の7月31日は忘れられない日」とコメントしています。


そしてここからは、先日たまたま見ていたワイドショーでの東海林のり子さんのGLAYに関するトークを紹介します。

その日、ワイドショーのテーマは武道館で、アナウンサーから「今まで武道館でコンサートをしたミュージシャンで印象に残っているのは誰ですか?」と聞かれ東海林のり子さんは「GLAY」と答えました。そこから当時のことを語っていたのですが、ライヴでTERUさんが「僕達も武道館に立つことができました」と言った
後に思わず涙を流した事や、ライヴの打ち上げの時に、メンバーを探す母親と、照れて母親を避けているメンバーがいるのを見て、東海林さんがHISASHIさんの母親をHISASHIさんのところまで連れて行ったそうです。そして、母親が「ちゃんとご飯食べてるの?」と聞くと、HISASHIさんが「食べてるよ」と言って、またすぐどこかに行ってしまう、というような事があったと話していました。

いきなりGLAYの話題が出てきて、ドキっとしました(^^;

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このページは、2007年10月 4日 03:25に書いたブログ記事です。

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